【幕末①】プロローグ~幕末前夜~

はじめに

私が個人的に一番大好きなのが、この幕末という時代。実はここを書きたくてこのサイトを作ったといっても過言ではないのです。
とはいえ、ただ好きなだけで専門家ではないため、好き嫌いによる偏見が文面に現れてしまうかもしれません。
なので先に謝罪を。不快な気分になられた方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。
ちなみに推しメンは赤禰武人と芹沢鴨です。

プロローグ

幕末というのは江戸時代の終わり頃のこと。
文字どおり“幕府の時代の末期”って意味です。
これは260年以上続いた江戸幕府の終わりであり、同時に、700年にわたって政治の中心だった武士たちの時代の終わりということでもありました。

ずーっと長い間続いてきたシステムが壊れる時っていうのは、やっぱり色んなドラマが起きるわけで、この幕末と呼ばれる十数年間もそんな時代。
色んな考えをもつ色んな立場の人たちが入り乱れ、そこら中でくりひろげられるテロや暗殺や戦争――。
まるで嵐が吹き荒れるような動乱の中、日本は新しい日本へと生まれ変わっていくのです。

幕末前夜の日本

鎖国=アクティブな引きこもり

まずはこの幕末という時代に突入する前の日本と、世界の情勢を少し。
この頃の日本は、200年以上前からずっと鎖国という状態でした。
この鎖国って言葉、いかにも「めっちゃ閉ざしてます」ってイメージがあるかもしれないけれど、実際は「わりとアクティブな引きこもり」くらいのヌルさ。

「外国人も外国の物も全てノーサンキュー!」
っていう断固拒否な感じではなく
「オランダと清(中国)の人は来てもいいよ。でも長崎の出島だけね」
という風に、相手と場所を限定していただけでした。

朝鮮・蝦夷(北海道)・琉球(沖縄)というご近所さんたちとも各藩を通して貿易していたし、彼らを通じて世界の情報もちゃんと入手していたんです。

MEMO
四つの口
  • 長崎:オランダ・清(中国)
  • 松前藩:蝦夷(北海道)
  • 対馬藩:朝鮮
  • 薩摩藩:琉球(沖縄)

長崎では幕府が直接、他の3ヶ所では各藩が、それぞれ相手を限定して貿易を行っていました。(四つの口・四口といいます)

日本が拒否っていた相手とその理由

日本がものすごい勢いで拒否ってたのは、キリスト教を広めようとするヨーロッパの国々
彼らの「キリスト教の信者増やして、そのうち植民地にしちゃうぜグフフフフ」っていうゲスい作戦は知っていたので、そこは断固拒否でした。
(『キリスト教』とひとまとめにするとオランダも入ってしまいますが、カトリックプロテスタントという二大教派でいうと、オランダはプロテスタントの方。日本が拒否ってたのは布教熱心なカトリックの国々です)

なので日本人に対してもかなり厳しめ。
日本人が外国へお出かけするのも、外国に行ってた人が帰ってくるのも、外国まで行けちゃうくらい大きな船を作るのもぜーんぶ禁止。
キリスト教を持ち込まれたり、敵の仲間やスパイになったヤツらが帰ってきたら困るからです。
(他にも、大名たちが勝手に外国と手を結んだり、武器やお金を手に入れて反乱を起こされたらマズいとか、幕府が貿易の儲けを独り占めしたいからという理由もありました)

外国の船に大砲を乱れ撃ちして追い返したり、遭難して外国船に保護され生還した漁師さんを「スパイかもしんないからとりあえず捕縛ね!」と牢屋にぶちこんだりと、たまに過激な反応をしちゃうこともありますが、それはあくまで拒否ってる相手だから。
お友達(貿易相手の国々)とはそれなりに仲良くお付き合いが続きます。

「ボクは外に出ないけど、友達が外の情報や品物持って来てくれるから別に困ってないの。だから新しい友達も要らない。強引に家へ押しかけて来たら大砲ぶっぱなすからね!」

そんな感じで、日本がわりとアクティブに引きこもり生活をエンジョイしていた頃。
ヨーロッパの国々はもっとアクティブに、植民地をどんどん増やしつつ、海の覇権や領地を争って戦ったり、貿易のネットワークを作り上げてお金儲けにいそしんだりしていました。

その頃、欧米では……

民主化と独立戦争

やがて彼らは、日本よりひと足お先に激動の時代へ突入。
海外貿易でたくさん儲けた人たちが力を持つようになり、民衆が苦しむような政治を行っていた王様を処刑したり追い出したりして、市民が政治に参加できるようになっていきます。(いわゆる民主化ってやつです)

それから支配される側だったイギリスの植民地・アメリカでは「本国の政治がクソすぎるから自分たちで国治めるわ」と独立戦争が起こり、それを皮切りに、南米などにあった欧州各国の植民地で次々と反乱や革命が起こっていきました。
こうしてまずは国を治めるシステムが一変したのです。

産業革命

いち早く民主化したイギリスでは「人気のある輸入品を国内で安く作って売ったら超儲かるんじゃね?」と考えた人たちが「安く売るために、一度にたくさん作ってコスト下げようぜ!」というモチベーションの元、色々な機械を開発。
工場で大量生産ができるようになっていきます。

その工場の動力として発展したのが蒸気機関
最初は炭坑の排水ポンプを動かすために開発されたのですが、これが更に改良されて、蒸気機関車蒸気船が生まれました

植民地を求める欧米諸国

こうした技術はすぐに欧米各国へ伝わり、大量生産できるようになった製品を売る先や原料・資源をゲットするため、彼らは新たな植民地を求めてますますアクティブに遠出するようになっていきます。

当時ヨーロッパの国々は既にアジア各国にも植民地や拠点を持っていましたが、それらはわりと少ない軍事力で支配下における地域のみ。
大国・清(中国)をはじめ、日本や朝鮮など「外国船はこの港しか入っちゃダメ!」「許可した国以外の船は来ちゃダメ!」という鎖国・海禁政策をとっていた国々に対して「いいから国開けや!」と攻め込むには、東アジアは遠すぎたのです。

ところが蒸気船が実用化されて、でっかい軍船を遠方に送りこめるようになったため、東アジアの国々はさあ大変。

お隣り・清では、もっと儲けたいイギリスがアヘンを密貿易で売りつけてくるので厳しく取り締まったところ、逆ギレされて容赦なく攻め込まれるという超理不尽な戦争(そのまんま、アヘン戦争といいます)が起こり、世界最強と言われたイギリス海軍にボロ負け。
超高額の賠償金と香港を取られたあげくに、強制的に開国させられ、色々と不利な条約を結ぶ羽目になりました。

日本の反応は……

清の敗戦にビビった幕府

お友達のオランダからもらった報告書(『オランダ風説書』といいます)で、この一連の出来事を知った日本は超ビックリ。
そしてものすごくショックを受けます。

「超強い大国だったはずの清が瞬殺された……だと? 清でも敵わないなら日本に勝ち目なんかあるわけねえじゃん。はっ! 外国船に大砲ぶっぱなすの今すぐやめて! その報復に攻め込まれたら、マジで日本終わるから!」

というわけで、オランダと清以外の外国船は問答無用でぶっ飛ばしてオッケーという『異国船打払令』をやめて、困ってる船には燃料と食料あげて穏便に帰ってもらいましょうという『薪水給与令』が出されました。

「貿易しようぜ」とやって来る外国船に対して
「は? 無理無理、さっさと帰りやがれ! 帰んねえと船沈めんぞ!」
だったのが
「いやぁ、先祖代々の決まりでちょっと難しいんですよ。燃料とか食べ物が足りなかったらあげるんで、勘弁してもらえます?」
くらいにトーンダウンしたわけです。

ついでにオランダに「もっと詳しく海外のこと教えて!」とお願いして、カピタン(長崎のオランダ商人のボス)の話をまとめた『オランダ風説書』の他に、オランダの植民地・バダヴィアの政庁からも『別段風説書』という詳しい海外情勢の報告書を貰えることになりました。

「日本ヤバくね?」と気付いた者たち

この頃になると、対外国の窓口である長崎周辺の各藩や、琉球を通して中国と貿易していた薩摩藩など、西国を中心に「このままじゃ日本ヤバくね?」と気付く者たちが現れます。

長崎の警備を担う佐賀藩では、西洋式の大砲を作るために日本初の反射炉(鉄を溶かすための鋳造所)が作られ、その数年後には長崎の周りに鉄製大砲50門をそなえた台場が完成。ついでに蒸気機関の研究も始まりました。

琉球を実質支配していた薩摩藩では、西洋の情勢や学問に詳しい島津斉彬が藩主となり、最先端の技術と産業を集めた施設(『集成館事業』といいます)を作り始めます。

それから、ロシア船の対応のため海防掛(今の防衛庁+外務省的な役職)に任命された松代藩主・真田幸貫の部下として、佐久間象山が表舞台に登場。
「このままじゃ外国に攻められたら日本終了じゃん。早く日本も海軍作ろうぜ。あと、銅は貿易よりも西洋式の大砲作るために使えや」という内容の『海防八策』を提出しました。

オランダ国王から「そろそろ開国した方がいいよ」という手紙をもらい、幕府内にも「このままじゃ日本ヤバい」と思っていた人はいましたが、まだまだ「外国なんか力づくで追い払え!」派が多数な上、この頃の幕府は深刻な財政難。
海防に回すお金もなく、これといった対策をとらないまま月日だけが流れていきました。

そんなある日、お友達のオランダから恐ろしい知らせが届いたのです。
「なんか、来年あたりにアメリカのでっけえ軍船が、けっこうな大人数で日本へ開国迫りに行くらしいよ?」と。

つづく