黒船来航⑥ 突きつけられた究極の選択【黒船来航3日目】

前話:黒船来航⑤ 黒船軍団のジャイアニズム【黒船来航2日目】

前話のあらすじ
  1. 与力の香山くんが『浦賀の超偉い人』として黒船へ
  2. 黒船の人「もっと偉い人が親書受取に来ないなら江戸城に乗りこむ!」
  3. 香山くん、時間かせぎに出るが3日が限界
  4. 黒船の人たち、日本の法律ガン無視でそこらを小舟でウロウロ
  5. 香山くん「法律で禁止だからやめて!」
  6. 黒船の偉い人たち超ジャイアン「お前らの法律なんか知らね」
  7. 奉行所に戻った香山くん、江戸へ報告書を届けに走る

混乱する幕府

黒船でジャイアン軍団との会談を終えた香山くんは、奉行・戸田氏英の書いた報告書を持ってすぐに江戸へ出発。
夜にはもう1人の浦賀奉行・井戸弘道(いどひろみち)のところに到着します。(浦賀奉行は2人いて、1人は江戸・1人は浦賀でお仕事をしていました)

香山くんが届けた戸田さんの報告書はすぐに幕府へと送られ、翌朝には老中・奉行など幕府の主なメンバーが集まって会議がひらかれました。

突きつけられた選択

嘉永6年6月5日――
江戸城で朝からひらかれた会議では
「ここで手紙を受け取るのは断固拒否。今までと同じく打ちはらうべき」
「祖法(先祖代々の法律)を破るわけにいかないから追い返すしかない」
という意見が大半でした。

よく幕末の思想として、攘夷(じょうい)開国(かいこく)尊王(そんのう)佐幕(さばく)というキーワードが出てきますが、この時点では幕府も朝廷も全国各地の大名たちも、ほぼ全員一致で『攘夷(外国を打ちはらう)』派です。

なので、会議で出る意見が「打ちはらう」「追い返す」となるのは当然でした。
けれどもそこには残酷な現実が……。
どこからどう考えても、日本には黒船のどでかい大砲や最新式の銃に対抗できる軍備がないのです。

しかも香山くんが持ってきた浦賀奉行・戸田さんの報告書からは、現場の超ヤバそうな雰囲気がひしひしと伝わってきます。

穏便に長崎へ行ってもらうという線が消えた今、幕府がとれる選択肢は2つしかありません。
戦争になるのを覚悟して断固拒否か、ペリーさんの要求を受け入れるか

ほぼ負けの見えている戦争をするわけにはいかないけど、ここで親書を受け取れば昔からの法律を破ることになる――。幕府の面々は悩みます。

幕府緊急会議@江戸城

「先祖代々の法律を破るわけ?」
「いやいや、それマズいでしょー」
「は? 戦争の方がもっとマズいだろ」

「なんで? したらいいじゃん。戦争して追い払おうぜ!」
「お前アホだろ。相手はクソでっけえ黒船だぜ?」
「日本の大砲じゃ飛距離足んねーし、負け確だぜ?」
「負けたら土地取られるか植民地だぜ?」
「しかも強制的に開国な」
「縁起でもねえこと言うなよ!」

「じゃあどうすんだよ、親書受け取んの?」
「戦争が嫌なら受け取るしかなくね?」
「でも絶対ろくなこと書いてねえだろうなー」
「だよな。今から日本も植民地な! とかだったりして」
「うわ、超こえー。やっぱ受け取っちゃダメだろ」
「ダメだな。ヤバい未来しか見えねえもん」
法律やぶるわけにいかねーしな

「そしたら……戦争?」
「「「無理!」」」
「じゃあ……受け取る?」
「「「無理!」」」

そんな感じでなかなか結論が出ません。

こういう時こそ将軍がビシッと意見を出してくれれば良いのですが、残念なことに時の将軍・徳川家慶(とくがわいえよし)は病に倒れてしまっています。
その病状は重く、家慶には黒船が来たことすら知らされていませんでした。

老中首座・阿部正弘、始動

自分の意見をあまり話すことなく会議を終えた老中首座・阿部さん。のらりくらりとしてとらえどころがなく、本心がわからないところから“ひょうたんナマズ”と呼ばれた彼も、とうとう表立って動きはじめることになります。

阿部正弘阿部正弘

まずは福井(越前)藩主・松平春嶽(まつだいらしゅんがく)
「今回の黒船はかなりヤバくて、もしかしたら将軍から軍隊出してっていう命令がいくかもしんないから、すぐ動けるようにしといてね」
という内密のお手紙が送られました。

そして参勤交代(1年ずつ自分の藩と江戸に住む制度)のため自分の藩に戻っていた彦根藩主・井伊直弼(いいなおすけ)らも江戸に呼び戻したのです。

これらはおそらく“万が一戦争になった時”を考えてのこと。まさに幕府の非常事態宣言のようなものでした。

元水戸藩主・徳川斉昭

そして阿部さんは更に、当時の有力者の中でダントツに外国嫌いな超ウルトラスーパー攘夷派、元水戸藩主・徳川斉昭に「今回の件、どうしたらいいと思う?」とお手紙を書きます。

徳川斉昭徳川斉昭

水戸徳川家は、将軍の血筋の予備として作られた『御三家』の1つ。初代将軍・徳川家康の息子の血を引く家系です。
この御三家、幕府の要職にはつけないのは同じですが、斉昭の水戸藩だけちょっと役割が違います。

水戸徳川家は他の二家よりも格下なため、血筋を残すための保険という役割は薄く、将軍の補佐的な立場。
御三家の中で唯一藩主がずっと江戸にいて、人々から「副将軍」と呼ばれていました。(幕府に“副将軍”という役職があったわけではなく、「絶対将軍にはなれない」という皮肉も入った呼び名でもあります)

斉昭はそんな水戸藩の元藩主
自藩の改革を派手にやりすぎて隠居させられたため、第一線からは退いていましたが、そのキレキレな手腕は皆から認められており、阿部さんの相談役的な立場だったのです。

斉昭は島津斉彬など西国の藩主たちとも仲が良く、日本のおかれた状況をちゃんと理解している人物。
そしてその外国嫌いは筋金入りで、過激な攘夷派たちのカリスマのような存在です。
(ここらへん矛盾してるようですが、斉昭的には「外国を打ちはらうために必要だから、外国の最先端技術を学ぶのはオッケー」な感じです)

阿部さんは、その斉昭がどんな意見なのか、これからの方針を決めるためにも知っておきたいと思ったのでした。
ちなみに斉昭の返事はこんな感じ。

阿部ちゃんへ

だから前からヤバいって言ってたじゃん。
どうするも何も、今からやれることもあんまないし、ぶっちゃけ俺も超困惑中なんだよね。

でもさ、もうこんな状況になっちゃったら「とにかく打ちはらえ!」が正解とは言えねえよな。
だって攻撃すれば戦争になるし、もしそれに勝っても、あいつらきっと八丈島とか伊豆諸島とかに攻め込むもん。
そのへん占領されたら色々ヤバいし、貿易すんのももっとヤバい。
それにこの騒ぎが長引いたら、絶対国内でも問題が起きるし。

どれもみんな大事なことだから、色んな人の意見聞いて、よーく考えてから決断しなきゃダメだぞ。

斉昭より

今までなら「絶対打ちはらえ!」派の筆頭だったはずの斉昭が、「今回は打ちはらうのが必ずしも良いとは思わない」と言っている――
この斉昭の意見で、阿部さんの心は一気に親書を受け取る方向へと傾いたのでした。

浦賀の面々の動き

江戸城で結論の出ない会議が続けられていた頃――

黒船から時々ぶっぱなされる空砲にも慣れた浦賀の町は、海岸の警備を担当する各藩の藩士たちや、詳しい状況を確かめに来た武士や役人たち、黒船見物にやってきた野次馬たちなどでごった返していました。
海岸を見渡せる場所にある砲台や大砲の整備など、もしもの時のための準備に、たくさんの人たちが慌ただしく動き回ります。

お仕事熱心な?与力たち

そんな中、海の上をまっすぐ黒船に向かっていく、1艘の船がありました。
乗っていたのは、香山くん・中島くんと同じく外国船の対応担当の与力たち。
黒船にたどり着いた彼らは、通訳の人から用件をたずねられると「用はないけど話をしに来た」と答えたといいます。

でも、この日はキリスト教徒たちの安息日である日曜日だったのです。(当時の日本には曜日の概念はありませんでした)

黒船の通訳

今日は安息日だし、用がないなら乗せらんないや。ごめんねー

ということで、彼らが黒船に乗りこむことはできませんでした。

断られた与力たちはすごすごと引き上げたわけですが、彼らの内心はどうだったのでしょうか。
黒船の中を見ることができず残念がったのか、面子を潰されたと感じて怒りを覚えたか、それとも何か別の思惑があったのか――。
のちに香山くんを左遷させることとなる与力たちのひがみの発端は、この時に芽生えた何かだったのかもしれません。

とんぼ返りな香山くん

ちょうどその頃――
浦賀奉行・井戸さんのところで一晩休んだ香山くんは、連れてきた部下を連絡役に残し、1人浦賀へ向かって出発しようとしていました。

現地の責任者・戸田さんは今回の交渉を全て香山くんに任せるつもりだったので、早く浦賀へ戻る必要があったのです。
前年のウワサの一件からずっと一緒に準備をしてきた戸田さんは
「心から信頼できて、もしもの時に頼れるのは香山栄左衛門だけだった」
と書き残すほど、香山くんに絶大な信頼を寄せていたのでした。

昨日からのハードスケジュールに心も体も疲れていましたが、この非常事態では仕方ありません。
香山くんは重い体を引きずって、浦賀ヘの道を急ぐのでした。

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黒船来航⑦ 黒船の江戸湾侵入と幕府の決断【黒船来航4日目】