超ダイジェスト① 旧石器時代~鎌倉時代

旧石器時代

日本に私たちの祖先がやって来て住み着いたのは4万年くらい前。
この頃は氷河期でめちゃくちゃ寒かったので、なんと地球の3分の1くらいが凍っていました。
寒いところに氷や雪がたまって海の水が減り、水面が下がっていたので、この頃は日本も北海道のあたりで今のロシアとつながっていたんです。

日本の南側と津軽海峡には海が残っていましたが、当時の津軽海峡は水温0度以下の寒さ。人間や小さめの動物たちなら、凍った海の上を通って北海道と本州を行き来できたことでしょう。
日本に人間がやって来たルートは諸説ありますが、この大陸と繋がっていた時期の北海道経由で来たルート、台湾から沖縄諸島を辿って船で来たルート、朝鮮半島から対馬経由でやはり船で来たルート、という3つの経路があったようです。

この頃の人間は、毛皮を着て、石を棒に縛り付けたヤリやオノでマンモスナウマンゾウを狩ったり、魚や貝などを獲ったりという、まさにリアルモンハン的な(ゲームをやらない人はテレビや漫画に出てくる原始人的な人たちを想像してね)暮らしていました。

縄文時代

氷河期の1番寒い時期が終わってちょっとずつ暖かくなってくると、色々環境が変わったせいでマンモスとかナウマンゾウとかが日本からいなくなってしまいました。
困ったのは、でっかい動物をハンティングして「1ヶ月分の食料獲ったどー!」ってやってた人たち。困るというか、完全に死活問題です。
ご飯を食べなきゃ死んじゃうので、彼らはとりあえず小さい動物を狩るために弓矢を発明し、森になる木の実(そのままだと硬いし超渋いから茹でるよ)を食べるために必要な土器を焼き、魚を釣るために釣り針を作るようになります。縄文人たち超有能。

そんなこんなで「この辺のナウマンゾウ、もう狩りつくしたんじゃね?」ってなったら移動しなきゃいけなかった時代は終わり、彼らは「ここなら食料に困んないし、もう引っ越しとかしなくてもいいかも」と、家を建てて定住するようになったのでした。

弥生時代

今から3千年くらい前になると、大陸から水田を作る方法が伝わってきました。(少し遅れて青銅も)
「え、超美味いの? だったら作るに決まってんだろ!」と思った弥生時代の人たち。でもそのためには水路なども色々と作らなきゃいけないし、たくさんの人手が必要です。
彼らは「じゃあみんなで米作りながら暮らそうぜ」と複数で集まって暮らすようになり、その集落がムラになりました。

人が集まれば、ジャイアン的な人とか、のび太的な人とか、出木杉君的な人とか、自然とそれぞれに合ったポジションに落ち着くもの。こうしてまずはムラ内に上下関係が生まれました。
やがて、土地によって米の出来る量にすんごい差があると気付いた彼らは、今度は土地や食料を巡ってムラとムラどうしで戦うようになっていきます。

その結果、戦いに負けて吸収されたり、「どうせ負けるから最初から従いますぅ」ってなったり、仲良しさんたちが協力したり合併したりしながら、いくつかのムラが集まりクニになっていきました。
有名な邪馬台国もこういう“国”の中の1つで、その女王が卑弥呼です。

古墳時代

弥生時代の終わり頃になると、クニの偉い人が古墳と呼ばれる大きいお墓を作り始めました。すごく安易なネーミングだけど、この古墳が作られていた時代が古墳時代。

この頃になると、でっかい国やたくさんの国を支配する大ボス的な人たち(豪族って呼びます)が出てきました。
大和地方(今の奈良県あたり)の豪族たちが「みんなで協力してもっとでっかい国作っちゃおうぜ!」ってことで出来たのがヤマト王権

元々強い国の集まりなため向かうところ敵なしで、100~200年ほどで彼らが九州から関東あたりまでを支配したと言われています。
ちなみにこのヤマト王権のトップ、大王(おおきみ)が後の天皇です。

飛鳥時代

しばらくして、ヤマト王権の中の超偉い人たちの間で、大陸から伝わってきた仏教を受け入れるかどうかで争いが起きました。
天皇家の後継者争いも絡んでのすったもんだの末、勝ったのは蘇我馬子。ここから馬子(子が付くけど中身はおっさんだよ)の無双が始まります。

馬子はまず、邪魔な天皇を暗殺して推古天皇(馬子の姪っ子だよ)を即位させ、その推古天皇の甥っ子・聖徳太子を皇太子にさせて、一緒に政治を行うことにしました。
で、ついでだから都も新しくしちゃおっかなーと飛鳥という土地にお引越し。そこに都が置かれていた100年ちょっとが飛鳥時代です。
この時代に戸籍やら法律やら税金やら兵役といった、国を治めていく仕組みのようなものがいっぱい作られました。

奈良時代

710年(なんと見事なとか納豆ネバネバとかの語呂合わせの年)、都が奈良の平城京へ移されました。ここで主に政治が行われていた約80年ほどが奈良時代。

この時代はとにかく荒れた時代で、天皇一族やお坊さんたちは権力争いをくりひろげ、大地震が二度も起きたり伝染病が流行ったり凶作が続いたりと、悪いことがたくさん起きました。「税キツすぎだろ!」と田んぼを捨てて逃げる民も続出。

時の聖武天皇は「とりあえず……都変えとく?」と遷都を短期間に何度も繰り返し、「仏教広めたら国もみんなの心も穏やかになるんじゃね?」と大仏を作り寺を建てまくりました(有名な奈良の大仏もこの時作られました)。 が、もちろんそれでどうにかなるはずもなく、残念ながら数代後の天皇の頃まで荒れた時代が続くことになるのでした。

平安時代

奈良時代の終盤「っていうか、うちの政権がこんな荒れてんの仏教のせいだろ。僧侶も大仏も政治に首つっこんでくんな、しっしっ!」と、平城京から京都へ都を移した桓武天皇。その10年後には平安京へと再びお引越しすることになり、そこからの400年ほどが平安時代です。

この時代の前半は天皇家と仲良しな貴族、藤原さんの一人勝ち。でもそのうちに武士が生まれて、終盤にはその二大勢力、さんとさんが力を持つようになりました。

彼らは天皇やら上皇やら貴族やらが入り乱れてのドロドロした争いに巻き込まれていき、その中で一旦は平氏が権力を奪いますが、最終的には皇族の呼びかけで集結した源氏によって滅ぼされることになりました。

鎌倉時代

源氏たちが平氏を倒す前から、源頼朝はこっそりと鎌倉に武士たちが政治をするための場所やシステムを作り始めていました。そして平氏を滅亡させた後、天皇から各地のボス的な人や警察的な人を任命する権利をもらいます。(征夷大将軍になれたのはその7年後)
これが武士たちによる政治の始まりで、ここから鎌倉幕府が滅亡するまでの150年ほどが鎌倉時代です。

そんな鎌倉幕府が滅びる一因となったのが元冠。中国大陸から東ヨーロッパあたりで暴れまわっていた(モンゴル)が、日本に攻めて来て神風が吹いたとか言われているアレです。
幸い二度とも無事撃退することができましたが、その時に戦った御家人(家来)たちに、幕府は褒賞をあげられませんでした。戦の準備は自腹というシステムだったため、武士たちの生活はとっても厳しいものに。

これをきっかけに彼らの不満が爆発。政権を取り戻したかった後醍醐天皇と御家人たちの利害が一致して、倒幕に動きだすことになります。
最後は足利尊氏が京で寝返り、新田義貞が鎌倉に攻め入って、鎌倉幕府はとうとう滅ぼされることになったのでした。

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超ダイジェスト② 室町時代~昭和時代