旧石器時代・ざっくりまとめ

旧石器時代の簡易年表

12万年前日本最古の遺跡(旧人・デニソワ人のもの?)
20万年前私たちの祖先、ホモサピエンス誕生
70,000年前氷期(最終氷期)が始まる
40,000年前日本にホモサピエンスがやってくる
38,000~40,000年前日本最古の磨製石器
29,000年前九州南部で超大噴火が起きる
23,000年前日本最古の釣り針
この頃が氷河期の最寒冷期
20,000~15,000年前ナウマンゾウやマンモスなどの大型獣が日本から姿を消す
16,500年前日本最古の土器

旧石器時代の日本

ホモサピエンス

今の私たちと同じ「種」であるホモサピエンスは、20万年ほど前にアフリカで進化して生まれました。
アフリカを出てアジア方面にやって来た彼らが日本にたどり着いたのは、今からだいたい3万8千~4万年前のことだと言われています。

人類が暮らしていたと思わしき痕跡はもっとずっと前のものが見つかっているのですが、日本は火山灰でできた酸性の土地が多いため、骨や有機物が溶けてしまって残りづらく、はっきりしたことは分かっていません。
私たちの祖先・ホモサピエンスのものと思われる遺跡は、だいたい4万年くらい前のものからになります。

大陸と陸続きだった氷河期

この頃の地球は65万年ほど前から続く氷河期の中の特に寒い時期、氷期のまっただなか。今のカナダや北ヨーロッパなどはほぼ全域が氷におおわれていて、一番寒かった2万3千年前頃は海面が今より100~120メートルも低かったといいます。

この時期には、北海道はユーラシア大陸と陸続きになり、対馬海峡や津軽海峡も今よりもずっと狭くなっていました。
このうち津軽海峡のあたりは今より気温が低く、水温が0度以下になる地域。なので人間や小型の動物は凍った海の上を行き来できたと考えられています。(マンモスはここを渡れなかったのか、本州ではマンモスの骨や化石は見つかっていません)

人類がやって来たルート

ホモサピエンスが日本へやって来たルートについては諸説ありますが、陸続きだったサハリンから北海道へ入るルート、中国大陸とつながっていた台湾から船で沖縄諸島を辿って来るルート、朝鮮半島から対馬経由で北九州へ船で渡るルート、という3つの経路があったと考えられています。

このうちの沖縄ルート上にある島々ではこの時代の遺跡から人骨が発見されていて、当初は彼らが縄文人の祖先だと思われていました。
ですがDNAの解析などによる最近の研究で、縄文時代の日本には現在の東南アジア人と同じ遺伝子を持つ人々や、ロシアのシベリア平原に暮らす元遊牧民と同じ遺伝子を人々がいたことが分かっています。
つまり、この時代に3つのルートでやってきたホモサピエンスたちが、日本で混血して私たちの祖先になったと考えられるのです。

旧石器時代の人々

住居と生活

この時代には、マンモスをはじめ、ナウマンゾウやヘラジカ、オオツノジカなどの大きな動物がたくさんいて、人々は少人数のグループで協力して狩りをしながら暮らしていました。(海沿いの地域では魚やカニ、貝などを獲って食べたりもしていたようです)
この頃の遺跡からは竪穴式住居のような住居跡はあまり見つかっていないため、彼らは洞窟や岩陰、そしてテントのような簡易な小屋を住みかにしつつ、獲物を追って移動を繰り返していたと考えられています。

また、大所帯が集まり協力し合って生活していたと思われる集落の跡も見つかっていて、そこには共有のスペースだったと思われる広場を中心に、石器を作ったり獲物を解体していた作業場らしき場所の跡が円状に並んでいます。(環状ブロックと呼ばれています)
これは主に関東から長野県の野尻湖にかけて見られるもので、もしかしたらこのあたりが旧石器時代の人々の行き交うターミナルのような地域だったのかもしれません。

世界の最先端をいく技術?

この頃使われたのは、オノ・ヤリ・ナイフといった主に打製石器(石を砕いて作った石器)。ですが、日本とオーストラリアではこの時代にもう磨製石器(局部磨製斧・刃先を研いだ石斧)が使われていました。

それから、この時代のものとしては世界でも珍しい落とし穴の跡も日本各地で見つかっていますし、沖縄の遺跡からは2,3000年ほど前のものと思われる貝殻を削って作った釣り針が発見されています。
これらもおそらく世界最古級で、この時代の人々は世界の中でも優れた技術を持っていたと思われます。

海を渡り交易もしていた?

ホモサピエンスが日本にやって来たルートの項で、彼らは沖縄ルート・対馬ルートでは船で渡って来たようだと書きましたが、この時代に日本で暮らしていた人々にも自由に海を渡れる技術がありました。
伊豆諸島の神津島で採れる黒曜石で作られた石器が、関東各地の遺跡からたくさん見つかっているのです。
伊豆半島から神津島の間には、氷河期で海面が下がっていたことを考慮しても数十キロメートルの海がありました。そして神津島産の黒曜石が見つかっている遺跡のうち、一番遠いものまでの距離がおおよそ180キロ。

つまり、彼らは黒潮の流れを越えて神津島へ渡り、石を運んで戻って来れるだけの航海技術と、それを流通させる経路のようなものを持っていたということになります。

世界と日本の時代区分

世界と日本の時代の分け方

日本のこの時代は『旧石器時代』と呼ばれ、土器が使われるようになると『縄文時代』『弥生時代』と続いていきます。
他にも色々な要素はありますが、大ざっぱに言えば、縄文時代は縄文土器・弥生時代は弥生土器という土器がベースになった時代の分け方です。

一方、世界の時代区分はというと、打製石器が使われていた『旧石器時代』・移行期だった『中石器時代(亜旧石器時代・終末期旧石器時代)』・磨製石器が使われていた『新石器時代』。その後は銅器時代、青銅器時代、鉄器時代と進んでいきます。
こちらは使われていた道具の材質ベースの分け方。
そしてこれらの他にも色々な定義があって、主流になっているのは獲得(狩猟・漁・採集など)』して生活していたのが旧石器時代、『生産(農耕や牧畜など=定住)』して生活するようになったのが新石器時代、という考え方になります。

日本の旧石器時代は?

日本の旧石器時代には、世界でいう『旧石器時代』の定義にあてはまらない部分がいくつかあります。局部磨製斧(磨製石器)、環状ブロック(定住の跡)、落とし穴、などです。
これらは世界でも他に例をみないもので、世界的にも注目されている縄文文化へと続く、日本独自の旧石器時代の文化なのです。